中日ファンだもんで

どんなにボロクソに負けても、次の試合もやっぱりみてしまう。 中日ドラゴンズに一喜一憂するブログ。 18才まで愛知県で刷り込まれたドラゴンズ魂は、いくつになっても生き続ける。

山田喜久夫の東邦魂

山田喜久夫は今年のドラフト1位の石川昂弥の先輩である。

愛知県の名門である東邦高校で石川の前の甲子園優勝投手である。

 

1989年の選抜優勝投手であり、決勝戦では上宮高校の元木や種田と

対戦をしている。

 

そしてドラフト5位で中日に入団して1990年から1997年の7年間、主に

中継ぎ投手として活躍した。通算成績は6勝8敗であり、1999年は

広島カープに移籍したが5試合登板のみで勝敗つかず、その年で引退をした。

 

1995年では登録名をキク山田に変更して人気の選手だった。

28歳の時のケガが原因で結局引退となりました。

 

その後は打撃投手をしていたが、43歳の時に再びケガが原因となり

プロ野球の世界から足を洗うこととなりました。

 

引退後は友人の紹介で営業マンをしていたようですが、山田喜久夫の

ファンだったわらび餅店の主人が声をかけたのがきっかけで、わらび餅の

修行をはじめ、200万円の開業資金を出し、2014年3月に名古屋ドーム近くに

お店をオープンしました。

 

地元のスターということもあり当初はお店は賑わいましたが、徐々に客足が

遠のき、1日に2~3人しかお客が来ない状態になったそうです。

 

ただそこからチラシ配りをし、中日時代の恩威である星野仙一さんからの激励

もあり黒字に転換して人気店となりました。

 

しかし、その後に重い肝臓病で肝機能が低下し、妹さんがドナーとなり移植

手術を受けました。

 

そんな山田喜久夫は昨年春の甲子園、石川昂弥が出場した決勝戦で応援に駆け付けていた。平成元年に優勝した山田喜久夫、平成最後のとしに優勝した石川昂弥、東邦高校は平成の時代の最初と最後を優勝でみごと飾ったのである。

 

さらに、スタンドでは長男・斐祐将(ひゅうま・3年)も東邦高校の応援団長として声援を送っていた。

 

そんな、山田喜久夫がのお店、ナゴヤドーム近くで営むわらび餅店「喜来(きく)もち ろまん亭」が9月から弁当販売を本格化するらしい。

 

中日の5ゲーム連続勝ち越しなど勢いたついているっこのタイミングさらにパワーを注入するために行っているのかもしれない。

 

大分の地鶏をしようした本格弁当なのに値段は税込み600円とリーズナブルである。

 

これは6月から母校・東邦高の野球部に提供し始めたのがきっかけらしい。

コロナの影響でお店の売り上げも下げっているところ、母校に弁当サービスを開始したのところ、店のお客さんからも問い合わせがあったとのことで、本格的な販売となったらしい。

 

ピンチをチャンスに変える、まさにこれまでの山田喜久夫そのものである。

 

そして、この弁当販売にともない取材をうけた山田のコメントが感動する。

「藤嶋と石川(昂)にはファーム慣れしてほしくないし、丸山とマルクにはまずは支配下になってもらいたい。東邦魂で頑張ってくれれば」と東邦の後輩にエールを送ったのである。

 

これが山田喜久夫の人気の秘密である。

 

どんなにピンチな時であっても後輩や困っている人のことを忘れないのである。

 

ピッチャーというポジションは傲慢な性格が多いと聞くが、山田喜久夫は気配りの天才である。

 

一つ残念なのはプロ野球開催時でのナゴヤドーム内への持ち込みはできないようだ。

 

ドーム内の店舗でキク弁当売れるようになってほしいものだ。

 

 

 

 

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